最後のミッション テーマについて

六車俊治(監督・脚本)

映画「狼 ラストスタントマン」の後、高橋昌志がスタントマンとは違う役を演じる姿を見てみたい、と思い、いくつかの役柄を考えた。そのリストの中に、「軍人」があった。寡黙で、武士のような軍人、現代日本で言えば、自衛隊員。それは、かなりハマりそうに思えた。

私の父方の祖父は、大日本帝国陸軍の少佐(最終階級)だった。熊本にある第六師団に所属し、20代で満州に派遣される。その地で、私の父は生まれた。その後、戦線悪化に伴い、ソロモン諸島に配属。そこで、終戦を迎えた。祖父は、私が小学生の頃、夕食の後に焼酎を飲みながら、よく戦争の話をした。満州最前線で北方部族と交渉する話もスリリングで面白かった。山本五十六、戦艦大和など、子供でも知っている名前が出てくる。大和の艦上で、祖父は山本五十六から自決用の短刀を渡された。子供にもわかるよう、上手に話をしてくれたのだろう、ディテールまでよく覚えている。

私は佐世保で生まれた。アメリカ海軍基地のある街である。母の実家は、長崎県東彼杵郡にあり、母は幼い頃、大村湾の向こうに立ち上る原爆雲を見た。母の実家の近くには、人間魚雷「回転」の練習基地があり、私はよくそこで遊んだ。海に突き出した突堤は、最高の飛び込み場所で、海底が見える透明度の高い海に飛び込むのは楽しかった。私も含めて、子供は、戦争の恐ろしさを感じてはいるのだが、その遺構で無邪気に遊ぶ。小学生の頃だ。戦争の残り香が身近にあったような気がする。

子供の頃、一人で電車に乗り、熊本にある祖父の家に行った記憶がある。山を背景に小川を渡ると一軒家がある。絵に描いたような日本の田舎風景が好きだったのかもしれないし、祖父の話す生々しい戦争の話を聞きたかったのかもしれない。祖父は、私が大学時代に亡くなったが、実に優しい人だった。怒ったところは見たことがない。話す時も、とても穏やかだ。祖母は、六車隊は兵隊が死なない部隊で人気があった、と自慢げに話していたが、対照的に祖父には、自慢げな感じが一切なかった。穏やかに、淡々と、語り続けた。壮絶な話もあった。しかし、結果、祖父とその仲間たちは生き残ったわけで、後味は悪くなかった。

祖父は紛れもなく、元軍人、である。いわば、人殺し、だ。味方を守るために、敵を殺す、戦場では当然のことである。しかし、どう考えても、悪人、とは思えなかった。どこか浮世離れした、僧侶、のような雰囲気があった。地獄を見た人間のみが出せる雰囲気なのか。いずれにしても、私の軍人のイメージは、祖父から離れることはできない。この映画の主人公、土門新、には、私の祖父のイメージが強く反映されている。

私は成長するにつれて、軍隊の恐ろしさを知った。私の恩師である慶應義塾大学名誉教授の矢野久先生の専門は、ナチスドイツである。先生の自宅にお邪魔したこともあり、ナチスについての貴重な私見も聞けた。軍隊という組織の本質の最も醜悪な面を、ナチスは体現したと解釈できる。しかし、ドイツ軍にも、一人一人見れば、祖父のような軍人もいたはずである。彼らは、複雑な状況に直面し、善悪の狭間で苦しんだはずだ。そのような葛藤は、ナチスに限らず、軍隊という組織に内在されるはずのものだろう。ここに本作のテーマがある。このような問題を解決する方法はあるのか。それを考え出せれば、人類は悲惨な戦禍を避けられるかもしれないという希望がある。人間の本質を考えると、軍隊という組織が、この世からなくなることはないだろう。しかし、もっと洗練された組織になることはできるはずだ。現実は厳しいかもしれないが、それでも希望は捨てたくない。その思いを、主人公、土門新に託した。

狼 ラストスタントマン 企画意図

六車俊治(監督・脚本) 

 2021年のある日、スタントマン髙橋昌志からの電話が鳴った。「これから家に行くから話がしたい」という。高橋とはお互い20代からの25年以上の友人関係にあるが、しばらく会っていなかった。自宅近所のファミレスでランチを食べながら、高橋は語り始めた。「映画が作りたい」という。

 髙橋昌志の弟の高橋幸司が病に倒れ亡くなったのは2019年のことである。高橋幸司と私は同い年で、とある映画で一緒に働き、意気投合した。この兄弟は、若き頃に高橋レーシングのスタントマンとして活躍したが、弟の幸司は26歳で一度引退し、ビジネスマンとしても活躍していた。二人の兄弟はとても仲が良かった。昌志にとって弟の幸司の死は、片腕をもがれるような気持ちだっただろう。その気持ちは痛いほどわかった。

 ファミレスで、高橋は語る。弟の幸司の死、そして、後を追うように共に暮らしていた犬、メジとラムも亡くなる。その後に襲ってきた悲しみ、孤独、喪失感。本当に辛い一年だった、生きる意味がなくなった、本気で自殺を考えた、という。しかし、死ぬ前に、最後に、亡くなった彼らに最高のカースタントを残してあげたい、と思うようになった。その心からの言葉には、胸を打たれるものがあった。

 ジャンピング・ロール・オーバー・シー・ダイブ。というカースタントをやりたい、と高橋は言った。ロール・オーバー、というカースタントを以前、とある映画で高橋にやってもらったことがあった。車が数回、横転するという派手なカースタントである。難易度として、それを遥かに超える、世界的にも前例のない危険なスタント。ジャンピング・ロール・オーバー・シー・ダイブ、車が回転しながらジャンプして、海に飛び込む。それを映画で、やりたいというのである。

 私は、その危険なカースタントについて、いくつもの質問をした。車はどう飛ぶのか?海に落ちた後のレスキューは?考えられるリスクは?どこで、どのタイミングで実行するのか?協力者はだれか?高橋は、その質問にすべて的確に正直に答える。その姿は、まさに私が長年付き合ってきた日本最高のスタントマン髙橋昌志そのものであり、危険なカースタントを希求するスタントマンの姿は私の心を熱くした。

 高橋から電話が鳴る直前。私は、とあるテレビ局のプロデューサーとスタントマンについてのテレビドラマ企画について話し合っていた。その企画はラフなストーリーまではできていたが、テレビドラマのさまざまな規制の中で、スタントの世界を描くことの厳しさも感じていた。

 2018年。日本で初公開されたオリジナル完全版の映画「恐怖の報酬(ウィリアム・フリードキン監督)」を劇場で見た時、私は衝撃を受けた(もちろん良い意味で)。その映像にある生々しさ(特に4人の男たちがニトログリセリンで巨大な倒木を爆破するシーン)は、昨今のCGによるアクションシーンには無いもので、それがなぜ、そうあるのかに思い至った。近年、私自身もいくつかの作品で危険な撮影を回避し、CGによる映像づくりを行なってきた。その時に撮影現場で行われるのは、CGクリエイターらによる数学的とも言える考察である。CGのない時代、危険なシーンを撮影する現場にはスタントのプロたちが集った。例えば、高橋が所属していた高橋レーシングでは、全てのスタントと爆薬の管理をスタントマン自らが行った。スタントマンは爆薬を扱う免許も持っている。彼らは、実際に危険な状況を撮影現場で生み出す。それをいかに安全に効果的に撮影するか、を現場で話し合う。当然、撮影現場には独特の緊張感が生まれ、すべての俳優とスタッフに伝播する。その状況こそが「恐怖の報酬」の持つエネルギーの源泉だと感じたのだ。

 私は、今まさに萎みつつあるスタント文化の価値をテレビドラマ企画として描きたい、と思っていた。高橋からの電話は運命的なタイミングだと思えたが、そもそも、私は完全に間違っていたと気づいた。このテーマは、映画でしかできない。

 ファミレスで、私は高橋に重要な提案をした。この映画には、髙橋昌志本人がメインのキャストとして出演する、というものである。ファミレスで高橋と会話している間に、私の中に明確なイメージが生まれていた。それは、引退したスタントマンが復活する、というものである。その役を演じるのは、髙橋昌志しかいない。彼は冗談だと思ったようで、役者は無理だよ、と笑って断った。実は、高橋の俳優としての可能性に私はずいぶん昔に気づいていたのだが、その時、はっきりと思い出した。今が、まさにその時だ。

 ファミレスでの会合が終わり、数時間後、自宅に帰った高橋から電話が鳴る。「わかった、役者やるよ」こうして、この映画の企画がスタートした。

 若いスタントマンと引退したスタントマンの物語、から構想はスタート。テレビドラマ企画を話し合っていたプロデューサーにもすぐに連絡した。そのプロデューサーは、この映画に出演(映画後半、スタントの前に石黒賢演じる仁に質問するスタッフ役)もしているし、色々なアイディアもくれた。無類の映画好きな人物で、この映画の隠れたキーパーソンと言ってもいいだろう。例えば、過去に怪我をして杖をついている仁や、動物を食い物にしている悪役、などのキャラ設定の多くのアイディアをこの人物からもらった。高橋が演じる豪のキャラクターイメージを膨らませる際にも、手伝ってもらった。そして、生まれたイメージが、狼、である。

 狼、は高橋の体にタトゥーとして、二つ刻まれている。一つは、優しい狼。これは、亡くなった彼の愛する犬たちへの弔いのため。もう一つは、牙を剥く狼。犬を虐待する人間たちを許さない、という戒めのため。

 高橋とは私が助監督時代からの付き合いで、出会いはとあるテレビドラマ。そのドラマの2週間に及ぶ過酷なイタリアロケで同室だった。そこで育まれた信頼感から、私が監督となっても彼との仕事は続き、次第に友人となった。高橋は、他の人間にはない直感に優れている。撮影現場には多くの人間がいて、それぞれ違った思惑で動いている。何かの拍子で、巡り合わせが狂うと事故は起きる。高橋は、危機察知能力が並外れており、常に神経が張っている。高橋のアドバイスで、危機を回避できたことは言うまでもない。高橋はよく言っていた。臆病な人間じゃないとスタントマンにはなれない、と。高橋は理屈では動かない。動物的な本能で動いているのである。危険を察知する野生の本能。それは長年のスタントの経験で養われ、まさにそれがあるからこそ、高橋は日本を代表するスタントマンになれたのだ。

 野生の本能、それが、この作品の根底にあるテーマになり、狼、はそのシンボルとなった。その本能は、時として、仇になる。私たちの人間社会にトラブルを巻き起こす両刃の剣である。豪というキャラクターには、その負の面を大きく背負わせた。豪は己の本能のために、孤独、一匹狼になった。

 この映画のカメラマンの二人は、まだ学生である。この映画が目指すものが、懐古趣味的、ノスタルジックな風合いを持つことは承知していたが、新しい撮影技術に慣れ親しんだその二人がこの映画に真剣に挑んでくれたことはとても嬉しいことだった。本作のテーマに未来性があることを確信できたように思う。多くの若い人々にも、この映画の面白さが伝わることを願う。